2009年7月30日木曜日
Flektogon-35mmを装着してみる
注文していたM42装着用のアダプターが配達されたので早速Flektgon-35mmを装着してみる。
AモードはやめてMモードにする。つまりオールマニュアルですね。
Flektgon-35mmはピントリングがやや硬めだし、SD14のファインダーは見やすいので
マニュアルが楽しい♪
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2009年7月29日水曜日
M42アダプターを注文
2009年7月27日月曜日
DP1にできないことを
2009年7月17日金曜日
SD14は望遠だって使える♪
SD14の優位点
SD14はレンズ交換ができる。これこそDP1がいくらその性能を誇ったとしても、地団駄踏んだとしても絶対に及びもつかない一点ですね。
今回はDC 18-200mm/F3.5-6.3 OSという高倍率、手振れ防止機能つきのレンズがキットレンズとしてダンピングされました。日本国内ではない組み合わせです。
これを無理に(別に無理にでなくともよいが)組み合わせた価格は、価格コムで調べてみると十万円はくだらないという。おほほ、それがなんと半額程度で入手できちゃった、くふふ
まあそれはともかくレンズ交換ですが、M42もアダプター経由で装着できるというのも好ましいですね♪
Flektogon、Pancolarといった真打がさてSD14とどんなコラボレーションをみせてくれるか楽しみなことです♪
まずはアダプターを買わなくっちゃ、うふっ♪
とりあえずはDC 18-200mm/F3.5-6.3 OSという暗くて重いレンズをとりまわす。
ほらっ、ちゃんとボケだってでる。DP1くん、こんな場面に君の出番はないの、またあとでね♪
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2009年7月16日木曜日
そしてやってきたのは...
そうです、Sigma SD14です。
きっとDP1のFOVEONセンサーの魔力にとりつかれてしまったのでしょう(ほとんど他人事♪)。
DP1では広角28mm/F4に固定、もちろんレンズ交換なしですから、いらつくことが多いのですねえ。いえそれはそれで素晴らしい道具なのですが、もっとこのFOVEONセンサーを味わいつくしたいというなんとも言いがたい突き上げに襲われたのでしょう(ほぼ他人事♪)。
同時期にダンピング販売していたSigma SD14+18-200mm/F3.5-6.3 DC OS(手振れ防止)を買わずにDP1を選んだわけですが、しかしどうにも忘れがたくいたところ、同一オファーがもっと手ごろな投げ捨て価格でeBayに出品されました。そこで・・・・というわけでした。
これはきっとFOVEONウイルスに感染してしまったに相違ありません(完全に他人事♪♪)。
いまは電池充電中、午後にもさっそく撮影に出かけるつもりです♪♪♪
ということでまた後ほど♪♪♪♪
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2009年7月14日火曜日
K100D、別れの予感
三年前に最初のデジイチとして入手したK100D、どうやら新しい里親が見つかりそうである。当時のベストセラーでデジイチ後発のPentaxに勇気と力を与えた(?)機種であった。
6MPという高画素化の潮流に取り残されたK100Dのセンサーであるが、実は6MPで充分なのだ。RAWで撮影すると10MPまで使っている。(ちなみに7.5MP のDigilux3はRAWでは15MP使用している、どうなっているのだろう?)
そして最近はけっこうシャープな画像をはきだしているのは彼女(カメラはドイツ語では女性名詞である)のほうも別れの予感にふるえて精一杯尽くしていてくれるのかもしれない。
なんだか手放すのが惜しくもなってきた、ううむ・・・
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DP1の細密描写には辟易することも・・・
2009年7月12日日曜日
K100Dで気分を変える
2009年7月10日金曜日
2009年7月9日木曜日
DP1の露出調整に秘密あり、か?
2009年7月8日水曜日
2009年7月6日月曜日
精密描写だけではないDP1
2009年7月5日日曜日
2009年7月4日土曜日
ヨーロッパを解く鍵
気温30℃の真夏日でも木陰は涼しいのが助かる。ずっと木陰にいると肌寒いほどだ。しかし日向にでるとまたすぐに猛暑。これがまあドイツの夏である。
ここはさる中級規模の都市であるが、ショッピング通りのすぐわきにマロニエの並木にはさまれた運河があってフランス風でもありオランダ風でもある。
ヨーロッパの都市はいずこも地域性という色合いをもつものが多い。ここもかってナポレオンに占領された歴史をもつからフランスが影を落としている。またオランダにも近い。オランダからの買い物客も多く見られる。
現地の言葉もオランダ語とドイツ語の橋渡しをしているようだ。オランダ語では「G」を「h」に発音するが、ここで「j」と発音する。最初はとまどったがけっきょく慣れた。また「das」を「 dat」と訛るのはもう英語に近づいている。
欧州は国分けで見ても何も見えてこない。地域性がヨーロッパを理解する鍵なのだ。
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2009年7月3日金曜日
小さきもの
砂利まで描写してどうするDP1
2009年7月2日木曜日
【アムステルダム】Dam広場
かってはヒッピーの聖地のひとつだったダム広場だが、新宿伊勢丹付近や歌舞伎町にもヒッピーなどというもの影も形もなきがごとくアムステルダムにもそんな過去の名残は見えない。
しかしそこは、歩きつかれた旅行者がたむろしてしばしの休憩をとる場所であることに変わりはない。
すこしそこにとどまっていると欧州各国語がとびかっているのがわかる。スペイン語が多いのは歴史的背景によるものだろう。
なにしろ例のフラメンコという言葉、もとは「フランダース地方の」という意味で、ハプスブルグ家の王子でベルギー生まれのカール五世がスペイン王カルロス一世となってベルギー・オランダを含む低地地方がスペイン領になってしまった。その低地地方のスペイン人にとってはものめずらしくしかも進んだ文化的雰囲気をさして「フラメンコ」といったのだという。
欧州の歴史ではそんな変な事態がふつうに生起するのでまあ面白いのですねえ。
いまでも低地地方の文物に憧れてやってくるスペイン人が少なくないということだろう。
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それにつけてもDP1の凄さよ
2009年7月1日水曜日
Sunset Industry記念碑
ルール工業地帯はドイツ産業経済の中核です。昔も今もそれに変化はありません。
この地域の代表的企業Krupという鉄鋼武器生産の中核企業は(明治維新の際長州軍が輸入したアームストロング砲で有名)、戦前戦中ヒトラーを強力に支持しドイツの戦争遂行の動力機関車でした。それゆえにこの地域は英米軍の重点爆撃により廃墟と化しました。しかしこのルール工業地帯が潜在的にもつ工業生産力はドイツ敗戦後の復興の推進力となったのです。
しかしドイツ帝国復活を恐れる英米さらには他の欧州諸国はこのルール工業地帯を共同管理することになり 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC) が発足しました。それがさらに欧州経済共同体(EEC)、欧州共同体(EC)、そして欧州連合(EU)と発展してきました。
つまりこのルール工業地帯はドイツ産業の核心であるばかりでなく欧州をまとめる要でもあるのです。
重厚長大な重工業は時代遅れとなり、ITに代表される新たな産業モデルがドイツ南部に陸続と発展する中、ドイツと欧州経済に占めるルール工業地帯の相対的地位は下がり続けています。
Krupが競合するやはりこの地方を代表する企業Tyssenに併合されたのは1999年のことでした。そのことが何よりもドイツ経済の潮流を表徴していました。はたして斜陽産業に未来はあるのか?
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