かって東方貿易に活躍した「アムステルダム号」は、1602年から1795年の間、実に48oo回の航海を行ったそうです。
この50メートル足らずの帆船には200人の水夫が乗り込んでいたそうですが、その炊事の賄いはこの小さなキッチンでなされたという説明です。ほとんど畳一枚ほどの、つまりは半坪の広さしかありません。
このことからも航海の困難さが思い知れます。東方貿易は「東インド会社」という国策により巨大な富をオランダにもたらしましたが、その貿易の実行は、つまり毎回の航海は投機であったはずです。
水夫たちにとってもそれは人生の投機であったことでしょう。
この「アムステルダム号」は実物大の模型ですが、それでも当時のオランダ人ひいては欧州人の東方への憧憬、野心と水夫たちそれぞれの欲望が染み付いているように感ぜられました。
「アムステルダム号」については以下もご参考に。
Eastindiaman Amsterdam
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こんばんは。
返信削除ふーむ、興味深いです。200人の賄いをこのスペースで。いったい何を料理していたんでしょうね。
こんにちは。とこまるです。
返信削除学生の頃は歴史が苦手だったのですが、こういう話からアプローチしてもらうと歴史も好きになれそうです。
それにしても拡大したときの写真でかくありません?(^^;
1600×1200のモニターサイズでも表示しきれなくて・・・。
Hiroさん、おはようございます。
返信削除展示された内容からすると豆の煮込みのようなものだったのではないかと推測します。豆はかって欧州人の(エジプト人がソラマメを主食のように)主食でした。植民地を搾取収奪して豊かになり肉食を始めた模様です。そして肉体も巨大化しはじめたのですね。それまでの欧州人の平均身長はかなり低かったようです。
とこまるさん、いらっしゃいまし。
返信削除たはは、大きすぎますか?じゃ、つぎからは800x600程度にしておきましょう。