家内の実家の食堂の隅の十年一日どころか
知る限りでは二十二年は変化のない静物である。
ここは家の歴史そのものである
そういうたたずまいである。
2011年1月16日日曜日
2011年1月11日火曜日
Contax G Planar F2/35mm T* の美しさ
またひとつプラナーが増えた。
全マウント制覇にはほど遠いが、それでもそれにまた一歩を進めたのである。
この一歩は小さいかも知れぬが、プラナー世界へ大きな一歩を踏み出したのである♪
2010年7月1日木曜日
大室桃生氏の作品
Izaブログで数年前にいくつか紹介したことがある
大室桃生氏の作品だが、これは昨年に
桃生氏の父君である大室幹雄先生が来独されたおり
お土産としてみずから携えてきてくださったものである。
桃生氏のガラス器は鋳ぬくところに特徴がある。
そしてその色彩の新鮮さが魅力なのである。
2010年6月25日金曜日
リヴァース・リングの威力
最近入手したNikonのリバース・リング、日本のアマゾンで注文して実家に発送させた。それを老母が転送してくれたのである。
この威力が凄いので魂消た。
35ミリを逆付けすると1.6倍の倍率になる。普通のマクロでは等倍だからその大きさには大満足である。
しかし極めて被写界深度が浅いので手持ちではまことに辛い。
身体を前後に動かして、ピントがあった(と思われる)瞬間にシャッターを押す。
反古の山を築いているばかりだが、たまにまぐれ当たりすることもある。
これは深呼吸と息を止める集中力を要するので、はからずも気功的な効果もあるやも知れぬ。
接写も愉しいなあ♪
2010年6月10日木曜日
ダンス、ダンス、ダンス
コケの親分かと見える極小の花。
はいつくばってこんなものを撮るすがたは
他から視たらよほど滑稽なことであろう
と自分でも可笑しい。
しかしこんな地べたで静かにダンスを踊り続ける
ささやかだけれど、これも一つの命なのであった。
2010年5月20日木曜日
タムロンSP90の戯れ
マクロエルマリートほどのクールな切れとはちがい
タムロンのSP90の描写は柔らかい。
まあ誰でも知っていることであろうが。
わたしが所有するのは初期型52Bである、格好はじつに悪い、
がしかし性能は良い。
39センチまで寄れるはずであるが、E520のファインダーで
そのようなマクロの極地を覗くのはしんどいので
ほどほどに寄る事にしている♪
2010年5月13日木曜日
2010年5月12日水曜日
ついにダウンジャケットを
2010年5月8日土曜日
あいかわらず寒さ続くw
一週間ずっと肌寒く血流に障碍が生じたのか眩暈がする。
撮影するには最悪の天気なので庭でお茶を濁す。
槿の新緑が柔らかそうである。
今年ははたして槿が咲くほど暖かくなるのだろうか?
そんなシンパイをしてしまう週末なのであった。
2010年4月30日金曜日
Ai Nikkor 50mm/F1.4Sをゲットしてみた♪
だってねえ、F3HPがあるのにこの標準レンズがないのはやはり変でしょ?♪
Cosina Zeiss Planarにしようかどうかかなり迷いましたが、以下のものを比べてみてやはりNikkorにしようと決めました。
Ai Nikkor 50mm/F1.4S
Cosina Zeiss Planar T* F1.4/50mm
Y/C Zeiss Planar T* F1.4/50mm
いかがでしょうか?お気づきになったと思いますが、Ai Nikkor 50mm/F1.4Sの光学設計は明らかにPlanarのコピーです。(誤解だったらすいません誤ります)
またCosina製はきちんと説明してあるとおり旧Y/Cと同じ設計です。Y/Cはすでに所有しているし、それをオリジナルで使用するためにContax Ariaも入手もしました。
だからCosina製はおあずけ、ちょっと待っててね♪
さてPlanarの二番煎じ(?)Nikkorの出来や如何に?自分で試して体感するのが一番です。試写に<撮りかかり>ましたが、第一印象は悪くありません。
コピーとはいえ(?)名玉Planarに匹敵する標準レンズではないでしょうか?仕上がりは日本の連休明けになるでしょう。
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2010年4月28日水曜日
E-520をもちだす
Namさんに方法をご教示いただいて以来、このブログはずっとFlickrから直接ブログエントリーしている。
またExciteへのエントリーもPCからアップロードするのではなく、いちどFlickrにエントリーしたもののHTMLをコピペする。だから容量のセーヴになっている。
ということで今やFlickrがわたしの写真ブログの核心となったのであります♪
それとはまったくカンケイなく、天気がいいのでマクロなのである。
マクロレンズはElmaritとタムロンのSP90の初期型52Bしかもっていない。52Bも写りはいいのだがその外見が醜いのでついついElmaritをもちだすことになるのであった♪
いいレンズなのである、Leica Macro-Elmarit-R 60mm!♪
2010年4月26日月曜日
ゼッ不調の日
昨日は気温が26℃にものぼり、初夏を想わせる佳き日であった。
本日は一転、なんと12℃、その差実に14℃ですよ、あったくwww
だから四月はやなんだなあ、まったくあてにならない天気なのである。
そのせいか眩暈が激しく吐き気だってした orz
その四月もあと一週間で、待ちに待った(いつも何かを待っているw)五月なのである。
たぶんいきなり真夏に突入するんだよこれ、がまた。
ドイツの気候はまったく過激なのでありますw
2010年4月20日火曜日
Auto RevuenonをSD14に
Auto RevuenonをSD14で試写してみる。数日前に使用したPancolarはクセ玉でボケが荒れたりとんでもない色がでたりと手こずるのだが、このAuto Revuenonは実に素直なレンズである。
富岡製といわれているが、はたしてそれもナットクできる働きである。Y/CのZeissはそのほとんどがまた富岡製という噂であるが、どうもほんとうらしい。だからY/Cのレンズにもよく似た性能を感じる。
SD14に装着した姿はこんなである。
欲しくなった方もおられるかな♪
2010年4月15日木曜日
Porst compact reflex OCの姿とは
かなり角ばったフォルムです↑。
金属製ですから、筐体自体も重いです。しかも大口径レンズ55mm/F1.2付ですから、ずっしりと手ごたえがあります。手に持つと自ずと気合がはいります。↓
メカニカルなMFカメラですから扱いも愉しいです。巻き上げは軽いとはいえませんが、しっかりとした手ごたえを感じます。
コシナ製といううわさを裏付けるかのように<Made in Japan>と刻印されています。まあそれだけじゃあ確認はできませんが。
これはおそらく七十年代末年の製品だと思われますから、すでに三十歳以上になります。しかしいまでもきちんと働きます。Praktica LTLと同時代のものなのに作りがまったくちがい一クラス上のクアリティを感じます。このような中級機が日本でどんどん生産されたためドイツ製の同セグメントの機材が市場から駆逐されてしまったのは当然だとあらためて感じました。
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2010年4月14日水曜日
Contax Ariaの操作性
MFカメラだが、ピント合わせがマニュアル、それ以外はほぼオートなカメラだからだ。フィルムは自動巻上げ、巻きもどし。シャッターもズズッという風に切れるのでまるでデジタルのよう。
いってみれば高級コンパクトなのだ。
しかもAVオートが若干いかれた個体(ww)のようで、ほとんどPモードで撮るからなおさら操作性の印象は味気ないものになる。
フィルム二本試写して現像に出した、カメラに対する判断はその結果しだいだが、まあ撮っていてメカニカルなものを扱っているというMFカメラの醍醐味はヒジョーに薄い。
むしろフルマニュアルのYashica FX-3 super 2000のほうが愉しい。人間とは(まあ、わたしのことだが)実に勝手なものなのでありますww
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2010年4月12日月曜日
Contax Ariaをゲット!♪
がしかし4/3カメラでは焦点距離が二倍になるという宿命的な弱点があり(しかしそれは望遠やマクロでは長所であるが)、またE520もDigilux3もともにファインダーが小さく暗く見にくい、ゆえに鬱々として愉しまず、という日々が続いたのだ。
かといってEos 5Dに逝くというのもフルサイズがいまだ熟成しているようには見えずに躊躇していた。
折からフィルム撮影を始めていたので、Planarやその他手持ちのY/Cマウントレンズを装着できるYashicaあるいはContaxカメラへと興味が移行したのである。
まずはYashica FX-3 super 2000という評判のMFカメラを入手し試写してみたのだが、いかんせんこのカメラ、ちゃちな作りと大きなミラーショックでどうにも撮影が楽しめない。
そこでいよいよContaxがほしくなりとうとうゲットしてしまったのがこのAriaである。
操作性その他については次回以降のリポートを待たれよ♪
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2009年8月16日日曜日
2009年7月16日木曜日
そしてやってきたのは...
そうです、Sigma SD14です。
きっとDP1のFOVEONセンサーの魔力にとりつかれてしまったのでしょう(ほとんど他人事♪)。
DP1では広角28mm/F4に固定、もちろんレンズ交換なしですから、いらつくことが多いのですねえ。いえそれはそれで素晴らしい道具なのですが、もっとこのFOVEONセンサーを味わいつくしたいというなんとも言いがたい突き上げに襲われたのでしょう(ほぼ他人事♪)。
同時期にダンピング販売していたSigma SD14+18-200mm/F3.5-6.3 DC OS(手振れ防止)を買わずにDP1を選んだわけですが、しかしどうにも忘れがたくいたところ、同一オファーがもっと手ごろな投げ捨て価格でeBayに出品されました。そこで・・・・というわけでした。
これはきっとFOVEONウイルスに感染してしまったに相違ありません(完全に他人事♪♪)。
いまは電池充電中、午後にもさっそく撮影に出かけるつもりです♪♪♪
ということでまた後ほど♪♪♪♪
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2009年7月2日木曜日
【アムステルダム】Dam広場

かってはヒッピーの聖地のひとつだったダム広場だが、新宿伊勢丹付近や歌舞伎町にもヒッピーなどというもの影も形もなきがごとくアムステルダムにもそんな過去の名残は見えない。
しかしそこは、歩きつかれた旅行者がたむろしてしばしの休憩をとる場所であることに変わりはない。
すこしそこにとどまっていると欧州各国語がとびかっているのがわかる。スペイン語が多いのは歴史的背景によるものだろう。
なにしろ例のフラメンコという言葉、もとは「フランダース地方の」という意味で、ハプスブルグ家の王子でベルギー生まれのカール五世がスペイン王カルロス一世となってベルギー・オランダを含む低地地方がスペイン領になってしまった。その低地地方のスペイン人にとってはものめずらしくしかも進んだ文化的雰囲気をさして「フラメンコ」といったのだという。
欧州の歴史ではそんな変な事態がふつうに生起するのでまあ面白いのですねえ。
いまでも低地地方の文物に憧れてやってくるスペイン人が少なくないということだろう。
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2009年6月30日火曜日
【アムステルダム】De Amsterdam号

かって東方貿易に活躍した「アムステルダム号」は、1602年から1795年の間、実に48oo回の航海を行ったそうです。
この50メートル足らずの帆船には200人の水夫が乗り込んでいたそうですが、その炊事の賄いはこの小さなキッチンでなされたという説明です。ほとんど畳一枚ほどの、つまりは半坪の広さしかありません。
このことからも航海の困難さが思い知れます。東方貿易は「東インド会社」という国策により巨大な富をオランダにもたらしましたが、その貿易の実行は、つまり毎回の航海は投機であったはずです。
水夫たちにとってもそれは人生の投機であったことでしょう。
この「アムステルダム号」は実物大の模型ですが、それでも当時のオランダ人ひいては欧州人の東方への憧憬、野心と水夫たちそれぞれの欲望が染み付いているように感ぜられました。
「アムステルダム号」については以下もご参考に。
Eastindiaman Amsterdam
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